社交的な父を襲った突然の病
父はとても社交的な性格で、家族や親戚、友人と食事をしたりお酒を飲んだりするのが大好きな人でした。親族20人以上が集まって、月に1度、いつも行く居酒屋さんで食事会をしていたのですが、多い時で、皆でビールを70杯、80杯と飲んでしまうこともありました。スナックで飲むのも大好きで、常連になっていたスナックでできた友達もたくさんいました。
そんな父が膵臓を患ったのは2018年。胆振東部地震がおきて、北海道がブラックアウトした大変な年でした。
亡くなる2ヶ月くらい前から、病院にお見舞いに行くたびに看護師さんに呼ばれて、「いつ何があってもおかしくない状況です」と言われていたのですが、「何をもってして危ないの?」と思うくらい、父は元気だったんです。このまま病気が治るんじゃないかなと思うくらいに。「人は亡くなる前、一時的に体調が良くなる」という話を聞いたことがあるのですが、今考えると、あの時の父はそういう状態だったのかもしれません。
賑やかな通夜振る舞いで父らしく
父が亡くなった時、私たち家族が1番に叶えたかったのが、「賑やかな通夜振る舞い」でした。北海道のお葬式では、家族や親戚だけが通夜振る舞いに参加しますが、皆で飲んだり食べたりすることが大好きだった父のお葬式なので、父の友達にも参加してもらって、賑やかに見送りたいと思ったんです。
それで、飲み友達とか、スナックのママにも参加してもらうことにして、お料理はビュッフェを選びました。普通の通夜振る舞いでは折詰とかオードブルが出てくるので、ビュッフェというのは初めての経験でしたが、「すごいね!」「デザートまであるよ!」と皆さん喜んでくれました。ビュッフェスタイルの通夜振る舞いは、香華殿ならではだと思います。
お父さんが好きだった曲や当時流行っていた曲を流して、子ども達が踊ったり、タバコが好きだったお父さんの手に、いつの間にか誰かがタバコを持たせいたりして、「アニキらしいな」「おじさんらしい」という声があちこちから聞こえてくる通夜振る舞いになりました。
スナックのママが「さあ、帰ってお店開けよう。Nさん、皆を借りて行くからね!」と、飲み仲間を連れてゾロゾロと帰って行く様子も印象的で、何から何まで父らしいお別れができて、本当に良かったです。
1日1組限定の香華殿でなければ、ワイワイガヤガヤと賑やかに、心置きなく、通夜振る舞いを行うことは出来なかっただろうと思います。先日、親族で食事会をしたのですが、その席でも「あの通夜振る舞いは良かったね」「おじさんらしい通夜振る舞いだった」と話題になっていました。
異端児だった父との意外な「絆」
コロナ前だった当時は、棺の中の故人に向けて、家族や親戚が一人ずつお別れの言葉をかける「別れの盃」というセレモニーがありました。※現在コロナ禍により休止中
父は6人兄弟の4番目でしたが、「おかしいと思ったことはおかしい」「違うと思ったことは違う」とはっきり言うタイプ。年齢や立場の違いを気にせず、父の兄に対しても「それはおかしいだろう」などと意見を言うことがあったので、子どもだった私にもわかるくらい、兄弟関係がぎくしゃくしていた時期もありました。それでも父は毎週日曜日に、祖母と2人の叔父が暮らしている実家に、家族で行くことを欠かしませんでした。
そんな風に、兄弟の中で異端児だった父なので、別れの盃の時に、皆はどんな言葉をかけるんだろうと少し心配な気持ちもありました。でも、叔父さんや叔母さん、いとこ達が父にかけてくれた言葉を聞いて、「衝突することがあっても、心の中ではこんな風に思ってくれていたんだな」と、すごく感動したことを覚えています。
出棺前、棺にお花を入れて最後のお別れをする時、香華殿のスタッフの方が父の好みに合わせて、「手作りの釣竿」「パック入りの煮魚」「馬券購入に使うマークカード」を用意してくれたことも嬉しい思い出です。その他にも、スタッフの方々が気遣ってくれたり、支えてくれたりしたことで、気持ちが救われたことがたくさんありました。
父が亡くなってすごく悲しかったですが、お葬式が終わるまでの6日間、こんなに父のことだけを考えて過ごしたのは人生ではじめてのことで、貴重な時間だったと思っています。父の人柄や家族、親戚との繋がりが感じられる良いお葬式ができて、香華殿の皆さんに心から感謝しています。